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Essay




2007年2月10日 人生に廻り道なし

 人生に廻り道は無い、かといって近道もない。

私が常日頃思っている事は、「人生には近道も廻り道も無い。」と言う事だ。

と言うのも、目的地が決まっている場合、普通の人はわざわざ遠回りする事は考えずに、いかに近道を通って行くかを考える。

しかし、毎日の生活で近道しようとばかり考えて行くと、色々な側面からの判断が出来なくなるため、後々リスクが大きくなり成功直前で挫折する事にもなりかねない。

それでは廻り道はどうか。

人間普段の生活で、自分と直接関係が無い事柄に関しては、全く無頓着な人が多い。

日常生活で、一見無駄と思われるような事でも、その時身に着けた事が、後になって何かの形で役に立って来る場合が多い。

例えば特許を取って大売れした商品の幾つかは、全く別の商品開発中に偶然発見されたり、別の用途に使用変更した物も多い。

又、色々な事を経験している人は、それだけ人間に幅が出てくる。

人生には思わぬ落とし穴がある。

しかし逆に思いもかけなかった良い目に会うこともある。

人間一寸先は闇となると、明日には今までとはまったく別の職業に就くこともあるかも知れない。

そのような場合、以前は一見無駄な事と思っていた事が役に立つ場合もある。

今の世の中スピード時代である。

皆目先の損得や金と時間と労力の効率で動く傾向にある。

誰もが手っ取り早く楽して稼いで、悠々自適な人生を送ることを望んでいる。

しかし、本当にそれでよいのかと言う事を、時折考えて欲しい。

自分が一見無駄と思っている事が、実は自分にとって一番大切な事柄かもしれないのだ。



2006年10月18日 わかってください

 何やら歌謡曲のタイトルのようだが、人生相談の中には、自分の事を判ってくれない、というのが以外と多い。

しかし逆に人の事をもっと理解したい、という相談は皆無と言える。

従って、全体で見るとこのバランスは崩れている。

これでは世の中自分の事を判ってくれる人を捜している人ばかりである。

日頃交際範囲の広い人でも、本当に親身になって話を聞いてくれる人は、一人いるかいないかだと言う。

皆他人の話を腰を据えてじっくり聞いている時間は無いようだ。

皆自分の事で精一杯なのである。

しかし、私が思うには人間関係は上下関係であれ親子関係であれ、その精神面や人格面では、五分五分である。

自分の事を相手に理解して欲しければ、その前に相手の事を120%理解しようとする心構えが必要だ。

ところがこの世の中、皆自分が可愛い、自分の事がまず先で自分以外の人の事は後である。

増してや自分に悩みがある場合、他人の悩みを聞く余裕は無い。

しかし人は誰かに頼りたい、何かにすがりたいという弱い生き物である。

それでは本当の意味で、自分が助かる為にはどうしたら良いのか。

それは只単に、自分自身が捨て身になる事だ。

良い意味で開き直る事だ。

そうすれば、問題の解決方法がおのずと見えてくると同時に、悩み自体小さな事に思えてくる。

人間一旦捨て身になると、意外と気持ちは楽になって来る。

しかしその事に気が付かずに、悩みが解決しないと思い込み、堂々巡りしている人が多い。

私が常日頃感じている事は、親兄弟であれ、会社の同僚であれ、頼りになる人は居ない、と言う事だ。

最後の決断は自分自身である。



2006年8月22日 ちびまるこちゃんはクラスで一番の幸せ者

 私は毎週日曜日の夕方、ちびまるこちゃんを観ているのだが、此処何年かずーっと観ていたにもかかわらず、最近になってやっと気が付いたことがあった。

それが、タイトルに記した、ちびまるこちゃんはクラスでは一番幸せな子だということだ。

しかしアニメの中では、幸せだとか、そうでないということには、私の知る限りでは触れた事が無かった。

ちびまるこちゃんの家族構成は、両親、お姉さん、父方の祖父母の6人暮らしで、現代としては大家族だが、昭和40年代としては一般的な構成である。

家ではお姉さんとしょっちゅう喧嘩したり、お母さんに怒られたり、おじいちゃんに慰められたり、学校でもそれなりに大変なのだけど、他のクラスメートと比較すると、やっぱり一番幸せなのである。

ちびまるこちゃんにはたまちゃんという無二の親友がいるのだが、その子は生活には何一つ不自由は無いのだが、一人っ子で父親の愛情が強すぎて、カメラマニアと言う事もあり、何かにつけて写真を撮られて、本人は結構その事を悩んでいるようだ。

父親からすれば、何でこんなに娘を愛しているのに、わかってくれないのか、と思っているであろう。

しかし自分本位の愛情表現と言うものは、相手にとってははなはだ迷惑な事もある。

それと、クラスには、はなわ君という男の子がいて、すごいお金もちで贅沢な生活を送っているのだが、両親が仕事でフランスへ行ってしまっているので、普段は執事の人に、リムジンで学校へ送り迎えしてもらい、至れり尽くせりの面倒を見てもらって、クラスメートに振舞ったりして得意気なのだが、やっぱり親の愛情に飢えているのか、寂しげな一面がある。

作者は、きっと人生お金だけが幸せじゃないよという事を、今の子供達に言いたかったのか。

最近この番組はただのアニメではないな、と言うことを実感した。

おそらく、ちびまるこちゃんを観ている全国の子供たちは、大人になる過程で、事ある毎に、このアニメを思い出して、人生を学ぶであろう。



2006年7月14日 自責の念

 長い人生の中で、肉親や配偶者の「死」に直面することがある。

その事が現実に起こった時、残された人で、亡くなった人に対して、何も悔やまない人はまず居ないと言ってよいだろう。

もし残された人で「自分は何も悔やまない。」と言ったら、その人は嘘をついている。

「何でもっと面倒を見てあげなかったのか。」

「何でもっと優しくしてあげなかったのか。」

それは時間が経つごとに強く感じて来る事になる。

肉親が生きている時は、その人が死んだ後の事など考えられずに、我儘ばかり言ってしまう。

しかし、「あの時は悪い事をしたな。」、と思って謝りたくても、その時は相手はもうこの世には居ないのである。

それが自責の念に転じた時、その人はその後長い間それに苦しめられる事になる。

そして余りの辛さに耐えられずに、今度は経験者の立場として、 「ご主人を大切にして下さいね。」とか、「ご両親に優しくしてあげてね。」、などと他人に説教めいた事をしてしまうのである。

それは本人はその事に気付いていないのだが、相手の事を思いやって言っているのではなく、自分がその辛さを軽減したいが為に言っているのである。

確かに世の中、物事に直面しないと、判らない、実感しない、と言う人が非常に多過ぎる。

要するに、ほとんどの人は、今現在の自分自身の立場でしか、物事を考えていないのである。

そして、現実の事柄に直面してみてやっとその事が判ってくると、今度はうろたえてしまうのである。

これは人間の本能や直感で感じる人が少なくなり、頭で計算しながら考えている人が増えている事が原因していると思う。

かつて、米国のマフィアのアルカポネが、その晩年、苦しめられたのは、警察でもなければ、裁判所でもなく他人の批判でもなかった。

彼が一番苦しめられたのは自責の念だという。

人間、他人の攻撃からは地球の裏側までも逃げる事が出来るのだが、自分の中から湧き出た自責の念からは絶対に逃げられないのである。

なぜなら、自分は常に自分自身に付きまとっているからである。



2006年6月9日 馬車馬

 人間、長い人生の間には色々な事が起こる。

その出来事の中には、一生に一度というチャンスが到来する事もあるだろう。

人間、一度チャンスを目前にすると、欲が出てくる。

今まではチャンスと言うものに無縁と思っていた人でも、いざ、目の前に人参がぶら下がっていて、しかもあと一息でそれに到達するとしたら、そこで心を動かされない人はまず居ないであろう。

しかし、ここで考えて欲しい。

私がいつも言っている、「待てよ?」である。

人間、欲や損得優先で物事を考えていると、思いもよらない落とし穴に落ちる事がある。

しかも、一つの事柄に集中して考える傾向のある人は、余計に周りが見えなくなり、もうその事以外は頭に無くなってしまうのである。

これは、普段かなり知的で冷静な人でも、起こり得る現象である。

この突っ走ると言う性格は、資格試験等の合格、と言う目標に向かって、まっしぐらに進む場合は確かに有利だ。

しかし、若い内は、突っ走って、失敗してもやり直しが効くが、社会に出るとそうそう人生のリセットが出来る訳も無い。

社会生活は色々な要素が絡んで来るので、総合的に物事を考える事を身に付けないと、危険な目に会う場合がある。

学校時代、成績があまりよくなかった人が、返って事業で成功している場合が多い事がこれを物語っている。

特に昨今の世の中は、段々治安も悪くなり、詐欺などの犯罪も多く、落とし穴だらけ、といっても過言ではない。

人生時々立ち止まって「待てよ?」と振り返る必要がある。



2006年4月22日 相談者が望むもの

 人の悩みは千差万別である。

今までに色々な相談内容があったのだが、人によっては、こんな相談をして、笑われたりしないかと躊躇する人も多いようだ。

一般的には、大して気にならないような事でも、相談者本人にとっては、切実な悩みの場合も多い。

しかし、このような事が本当の悩みであり、自分ひとりでは背負いきれずに、他の人に相談したくなるのだと思う。

又、相談事の核心をなかなか言い出せない人も結構多い。

ある時に、悩み事を真剣に聞いていて、一時間話しても結局結論が出ないのだが、最後になって実は自分の本当の悩みは、こうなのだと言われたこともあった。

このような事が何度かあってから、悩み相談の電話が掛かって来てから、五分以内にその人の真意は何かという見当をつけるようになった。

私自身の独りよがりの先入観による判断は良いとはいえないが、今では九分通り相手の真意は判るようになった、と思う。

しかし、此処まで来るには結構試行錯誤があった。

あと、回答の種類としては、二者択一の場合もあるし、只発散したい場合、又、私がなんと答えるか、試されているような場合もある。

良し悪しは別として、相談と言っても、相手が期待している答え、満足する答えを出す事も必要な場合がある。



2006年3月19日 悩み多き30代

 最近の相談では30歳代の人の相談が多い。

所謂、団塊の世代である私自身も、今振り返ってみると、なぜ?とか、どうして?、又理由も無く悶々としていたのは、30歳代だったような気がする。

人間物心付いて学校で学び、10代、20代とゆっくり考える時間も無く突っ走ってきて、ふと立ち止まって考え出すのが、30歳代である。

それまで、世の中の仕組みや、人の心も何もわからず来たが、30歳代になると段々分別も付き、人の心の裏側や良し悪しも、おのずと見えてくる。

自分と他人と比較せざるを得なくなる。

自分の立場が段々見えてくる。

すると、そこに悩みが発生する訳だ。

これは所謂哲学なのである。

理想と現実のギャップをいかに埋めるかを考えなければならなくなる。

あきらめや妥協もしなければならない。

人間、結構、自分はそれほど大したことは無かったんだ、と気が付いた時は気持ちの面では返って楽になる。

競争に打ち勝つだけが人生じゃない。

自分が食っていけるだけ稼げればそれで良いじゃないか。

ナンバーワンでなくても良い、これからの時代はオンリーワンであれば、そこに何らかの価値が生まれてくる。

配偶者の浮気のように、知らない方が幸せ、と言うことも世の中にはあるように、知ってしまったゆえに返って悩みや問題が起きて来る事も多い。

この時期が過ぎて、40,50になって来ると、自分の能力の限界も見えてくる。

日々の生活も若い時ほど変化もなくなってくる。

なにやら、ぬるま湯にずーっと浸かっているようで、これが又心地よい。

今悩んでいる事が、後になって考えてみると、あの時なぜあんなに苦悩したのかと、笑い話に思えれば、人生幸せである。



2006年2月18日 身内の借金

 人生相談でよくあるのが、身内の借金問題である。

例えば息子の借金癖が直らない、と言うもので、大抵の親はその息子の借金を立て替えてしまう。

すると息子はチャラになった事をいいことに、新たに借金をしてしまい、その額が以前より多くなってしまうのである。

その借金の理由なのだが、借りた側から言わせると、生活費や事業の運転資金なのだが、貸金業の関係者の話では、大抵の場合は遊興費や交際費だと言う。

つまり、サラ金から借金をするほとんどの理由は、ギャンブルか女に注ぎ込んでいると言うことだ。

確かに本当に生活費が足りなければ、もっと正当に借りる手立てがあるはずである。

人の毎月の収入は一般的には限度がある。

自分の収入だけでは足りずに、ちょくちょく借金をしていた人が、今度自分の収入から返済できるかどうか。

例えば月給20万円の人が、毎月お金が足りずに3万円づつ借りたとする。

それで今度返済の段になると、毎月4万円づつ返さなければならない。

それまで毎月23万円づつ使っていた人が、返済開始から毎月16万円しか使えなくなる。

借金が100万円になった時には例えば、毎月3万円づつ返済しても、元金は一向に減らないので、一生毎月3万円づつ返済しなければならなくなる。

そこで別のサラ金から借りてきて返す、という自転車操業が始まる。

しかし本人はまだこの時点では事の重大さに気付いていないが、破綻することは目に見えている。

所謂ヤミ金などは言語道断だが、サラ金でさえ、本当に世の中に必要なものなのか。

遊興費などは、最初から借りるあてが無ければ、お金が無いなりに何とか工面できるはずなのだ。



2006年1月18日 プライドって何だ?

 私はよくプライドがない人間と思われるらしい。

それは多分、私が世の中の常識にとらわれずに、生きているからかも知れない。

しかし私自身は周りの人が思う以上に、プライドを持っている事を自覚している。

例えば、一昔前だったら大学出の漫才師は余りいなかったかも知れないが、今は大卒の芸人も結構多い。

世の中にはプライドの高い人がいると思えば、それを感じさせない人もいる。

そもそもプライドって何だ?と、聞かれたとしても、私にはその答えが良くわからない。

単なる見栄なのか、虚栄心なのか、自尊心なのか、自己愛なのか。

人によって解釈が違うせいか、普段何気なく使っている言葉なのだが、曖昧模糊としている。

只、プライドという言葉は対外的に使われている場合が多い。

自分の家の自分の部屋で、一人ボーっとテレビを観ている人に、プライドという言葉は感じられない。

そこに見えるのは、飾り気のない、自分自身という真の姿である。

しかし、プライドにも、身分相応、というものがあるのではないかと思う。

言ってみれば、その人にとって本物のプライドか、偽物のプライドかという事になる。

偽物のプライドを持っている人は、身近に観察しているうちに段々メッキが剥げてくるが、本物の場合、その人の何処を突いて もほころびがない。

本来、プライドとは自分を対外的に良く見せようとするものではないはずである。

むしろ自分自身の自覚の中にあるべきものと思う。

プライドばかりが高い人は、段々自分自身の中で、つじつまが合わなくなってくるはずである。

世の中、学歴や肩書きばかり気にして、実力や中身をおろそかにしている人が非常に多い。

そもそも日本人は、肩書きで人を判断してしまう、と言う傾向がある。

学歴や肩書きは、一度獲得してしまえばそれ以上勉強しなくても当分有効だが、実力や中身は日頃の努力を怠るとすぐに 衰えてくる。

大抵の人は対人関係で自分を安売りしたくない、人に馬鹿にされたくない、という事の裏返しにしか過ぎない事をプライドと思って いるようだ。

自分に、本当の意味での自信を付けたい人は、実力を伴った真のプライドを持つべきではないだろうか。




2005年12月31日 基礎を学ぶ

 何も今更そのような事を言われなくても、わかっていると言われそうなタイトルだが、私は物事何でも基礎が大事と思っている。

友人に言わせると、例えば英会話を習う場合、いくら基礎が大事とわかっていても、やっぱり格好良くペラペラしゃべりたいのだと言う。

確かにそういわれてみれば納得はいくのだが、基礎を身に付けずに、先の方ばかり観ていると、結局途中で行き詰って挫折する場合が多い。

それがゆえに、いつまで経っても初級レベルから上達しない人がほとんどだ。

私が思うに人間は飽きっぽい動物である。

一つの事柄を、外部から影響を受けずに続ける事自体、むずかしい事である。

元々人間の脳は同じ事をやり続けると、壊れてしまうように出来てる様だ。

物事を習得するには、ある程度一定期間は集中して勉強し、基本を常に意識しながら、その後も継続させる事が大切と思われる。

以上、いつもえらそうな事ばかり言っているが、私自身が実行しているかどうかは、別問題である。



2005年11月26日 人生で成功するには、、、

 私自身は人生で成功はしていないので、所謂人生で成功した人々を、観察した事によって得られた事柄を、記述してみようと思う。

中には偶然が重なって、運良く成功した人もいるかも知れないし、親から富と名声を受け継いだ人もいるだろう。

しかしほとんどの成功者に共通する物が確かにある。

一言で結論から先に言ってしまうと、皆「完全燃焼している。」という事である。

成功者はそれぞれの分野で、自分が納得するまで、やり遂げているという事だ。

そういう人は、たとえ失敗しても又何かの形で世に出て来る。

大抵の人は、ある程度やってみてわかったような気分になり、後もうちょっと、というところで妥協してしまうため、凡人から抜け出せないのである。

世の中には色々な才能を持った人がいる。

しかし、なぜかそのほとんどの人が、その才能に安住してしまい、努力を怠ってしまう。

才能と努力は全く別個のものである。

たとえ少しの才能でも、あるいは信念でも、短なる思い込みでもあれば、むしろ努力の方が大事である。

そしてその努力を、完全燃焼させることである。

この事を考えても、世の中返って不器用な人の方が、大成功する例が多い。

人間どうせ同じ事をするなら成功したいよね。

かつてあの松下幸之助氏が自分自身のことを「成るべくしてこうなった。」と言っていた。

成功者の努力や苦労や才能を一番良く知っているのは、正に本人なのである。



2005年10月20日 スクイーズ

 Squeezeとは絞る事である。

物事何でもそうだが、絞り込む事が大切である。

仕事でも趣味でもいいが、例えば、今流行のガーデニングを始めるとする。

園芸店へ行くと、ありとあらゆる植物を売っている。

正直、どれにしようか迷ってしまう事もしばしばである。

特に初心者は目移りがしてあれもこれも買い込んで、結局育てきれずにだめにしてしまう。

そこで、一つの植物を選んで育ててみて、それをマスターしたら、別のものを育ててみる。

選ぶ方法としては「これ」と言ったものがない場合、いらないものから省いてゆく方法もある。

所謂消去法である。

不要なものから消去してゆく事によって、自分が何を選ぶかがだんだん見えて来て、最後に残ったものが自分が選んだものと言う事になる。

しかしこの捨てるという事は、優柔不断な人にとってはむずかしい事である。

自分にとって「大切なものを選び、不要なものを捨てる。」という事が出来ずに、中途半端な結果になってしまう場合がある。

又、自分に何か問題が起こった時も同じである。

問題が山積みの場合、何から先に手を付けて良いかわからず、面倒な事柄をどうしても後回しにしてしまいがちになる。

何を先に解決すべきか、何が一番重要かを見極めて一つづつ取り組んでいけば、いつかは全ての問題がなくなっているはずである。

しかし、その時には又別の問題が発生しているかも知れない。

人間常に成長しているのである。



2005年9月20日 「絶対」は絶対にない

  昔は、「絶対」は絶対にない事もなかった。

というより、軍国主義の時代は全てが「絶対」として言い聞かされてきた。

小野田寛郎さんが南海の孤島で30年も生き延びたのも、この「絶対」があったからだろう。

それから民主主義に変わり、高度成長期の真っ只中では、「絶対」はまだ存在していた。

しかしバブルがはじけた現代の日本で、「絶対」と言う言葉を聞くと、「怪しい」という事を連想せざるを得ない。

まあそれだけ世の中が複雑になり、価値観が多様化して来たということだ。

絶対儲かります。

絶対痩せます。

絶対綺麗になります。

絶対健康になります。

今「絶対」という言葉を使っているのは詐欺ぐらいである。

現在日本ではニートの人達が増加して、社会問題になっているが、今の若者からすれば、ある意味この「絶対」と言う目標がなくなってしまった。

一部上場企業のエリートサラリーマンが突然リストラに合い、次の日からコンビニで時給800円のアルバイトをする時代だとすると、何を信じて生きていけば良いのか不安な時代でもある。

人間、信頼出来る人から与えられた「絶対」は、これを信じて進んで行けば生きてゆけるのだが、現代この「絶対」そのものがなくなってしまったため、自分の「絶対」を自分で探さなければならなくなってしまった。

しかし、まだ人生経験の浅い若者が自分自身の「絶対」を見つけるのは至難の業である。

自分の「絶対」を持っていない人は、街で「絶対儲かります。」などと声を掛けられ、ついふらりと乗ってしまう事にもなりかねない。

「絶対」と、他人から声を掛けられたら「待てよ?」と自分に問うてみる必要がある。

「絶対」は自分で探さなければならない。

世の中常に変化しているのである。



2005年8月16日 人を許す

  私の知人(女性)の話。

ずっと前から付き合っていた彼がいたのだが、途中で別の男性が好きになり、前の彼とは別れようと思った。

その事を正直に彼に打ち明けると、彼いわく、「僕は只の友人で良いから、別れないで欲しい。」と言う。

その彼とは只の友達に戻って、新しい男性と付き合うようになったと言う。

それから時間が経ったのだが、結局今は誰と付き合っているのかと聞くと、最初の彼だと言う。

しかし私の考えでは、人間一度でも、自分の事を裏切った人を許すと言う事はむづかしいと思う。

自分を捨てて新しい恋人を作って去って行く人。

昔貸したお金を未だに返さないで平然としている人。

世の中には自分勝手な人が実に多い。

老若男女を問わず、皆結局、自分自身が一番可愛いのである。

しかし自分を裏切った人を、意図も簡単に許してしまう人もいる。

私が思うに自分にとって必要な人に対しては許してしまう場合が多い。

自分が相手に対して色々な意味で魅力を感じている場合だ。

しかし、自分にとって相手を必要と感じなければ、許す必要性もないわけである。

人を許すと言う言葉を聞くと「心の広い人」、というイメージが沸くが、実際はそうではないと言う事だ。

ここで、最初の話に戻るが、彼女が戻る事を許した最初の彼は、本当に心が広い人なのか。

私がいつも言っている、「待てよ?」である。

私の憶測だが、この最初の彼には、別の本命の女性がいたのではないか、と言う事である。

だから心の余裕もあったし、彼女をスペアーとして確保して置きたかったのであろう。

むしろこのような考え方の方が、自然なのではないか。

人間は、生身であり、やはり神様にはなれないのである。



2005年6月2日 世を忍ぶ仮の姿

 坂道を下りながら考えた。

このESSAYのページを作った時は書きたい事が色々あったのだが、自分の想いを一通り書いてしまうと、最近は良い教訓が思いつかない。

しかしプロの小説家などは、書いても書いても新しい文面がほとばしるように湧き出てくるのであろうが、文才もない私には文章を書き続ける事は大変な事である。

世の中座右の銘をいくつも持っている人はあまりいないと思うし、自分自身のモットーは二つか三つあれば、人生何とかやっていける気がする。

「世を忍ぶ仮の姿」と言う言葉がある。

例えば、自分は本当は作曲家で身を立てたいと思っているのだが、まだ実現していないので、それまではフリーターをしている、とすると今の姿は正に「世を忍ぶ仮の姿」と言う事になるのであろう。

確かに自分の人生はこんなはずではなかった、と思う人は沢山いると思う。

しかし人間が生きると言う事に仮の姿と言うものが本当に存在するのかどうか。

人生に仮の姿はなく、全て真の姿なのである。

「現実を見ようよ、現実を!!」というコマーシャルがかつてあった。

世の中現実を直視出来ない人も多いかも知れないが、まず現実を認識する事から、次の一歩が歩み出せるのではないか。



2005年4月21日 人生の設計

 4月になり桜も咲き終わって、春本番と言うところだ。

人の悩みは千差万別だが、自分の思い通りにならないのが人生だ。

思い通りにならないから、悩みが起こる。

全ての人が自分の理想通りの人生を送っているとすれば、誰も悩む事はない。

しかし、自分の思い通りに行かないと思い込み、最初から投げやりになるのはおろかである。

人生にはある程度の計画が必要である。

大切な事は、自分の立てた計画に向かって努力する事だ。

それから物事何でもそうだが、順序がある。

先に借金をして、思う存分遊んで後になって、ローンで返す人がいる。

コツコツ貯金をして、ある程度溜まったら旅行等に行く人もいる。

価値感が多様化している今の世の中、どちらが正しいかと言う事は、私にはわからない。

しかしどちらが喜びが大きいかは明白である。

もし自分が迷ったら、今何が一番大切か、何を最初にやらなければならないか、考えて欲しい。

人生はどうあがいても、どんなに努力しても、なるようにしかならない場合もある。




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